昔、陸上自衛隊のパラシュート部隊から脱走した経験を持つ中塚です。
今日は、そのうち大金を稼ぐことになる中塚が、自戒を込めてお金の使い方を再確認したいと思う。
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▼見落とされるお金の「使い方」
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お金と言うものは稼ぐだけでは不完全で、使って初めてお金としての価値が発揮される。
本来ならば「稼いで使う」までをセットで考えなければならないのに、稼ぎ方ばかりがセンセーショナルな見出しとともに取り上げられる。
確かに稼ぎ方は書籍やセミナーでいくらでも学ぶことができるし、
そうでなくても学生時代を終えて社会に放り出されれば、嫌でも稼いでいかなくてはならない。
それに比べて「使い方」はどうだ。掴みどころはなく、社会に最適な見本など存在しない。
結局、子供の頃から耳にタコができるほど親から言われてきた通り、使わない(貯金する)という選択肢に陥る。
だがハサミの使い方は使ってみないとわからないのと同じように、
お金の使い方も、使ってみないと決してわからない。
それにハサミと同様、使い方次第では人を殺めることにもなりかねないのだ。
巷間言われるように「消費」「浪費」「投資」のポートフォリオに分けて使うことができれば御の字だが、それぞれの境目は実に曖昧だ。
僕なんかはよく漫画本をKindleで購入したりするのだが、妻からは「れっきとした浪費」だと言われる。
僕としては、サロンの客層が40代メインの為、少年ジャンプ黄金期の作品を読み漁り、会話の中で例え話としてさりげなく引用すると盛り上がるのではという狙いがあるのだが、実際のところ投資なのか浪費なのかわからない。
一つだけ言えるのは、「短期的に満たされるもの」は浪費であることが多く、
「長期的に見て満たされるもの」は投資であることが多いと言うことだ。
例えば大好きなシュークリームを買う(食べる)と瞬時に満たされはするが、長期的には習慣病を引き起こす原因になりかねない。
それに比べて年金保険に加入することは何の快楽でもないが、30年後に老後資金として幸福度に影響を与える。
なるほど長期的に満たされるであろうものにお金を使うことが「投資」であるという法則に則り、金融商品や、健康器具、OA機器や広告ばかりを買い漁るのもいいが、やっぱりどこか窮屈だ。
いずれにしてもポートフォリオを組むことと、使い方を学ぶのとでは軸が違う。
僕たちにはもっと具体的なアドバイスが必要だ。
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▼「経験」の喜びは残る
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そもそも僕たちは、所有しているモノにどれくらい「喜び」を感じているだろうか。
例えば、レクサスのLSシリーズを所有している人が感じている喜びは、大衆車であるカローラを所有している人よりは確かに大きいはずだ。
では運転中はどうだろう?
常に「俺はレクサスを転がしている!ほぅら皆が羨望の眼差しで振り返るだろう?ザマァみやがれ!ヒャッホウ!」とはならないはずだ。
なぜならば、運転中は「車以外のいろいろなこと」が頭に浮かんでくるからだ。
クライアントの無茶振りや職場でのゴタゴタ、娘の不躾や妻とのいざこざ、渋滞や前を走る車の無茶な運転などがそれに当たる。
つまり、車のことだけを考えているうちは喜びを感じられるが、運転しているときにはその喜びはすっかり失せてしまう。
逆に言えば、レクサスを所有していることに喜びを感じ続けたければ、意識的に車のことを愛でる習慣を持たなければ難しい。
このことを考慮すると結局、喜びの収支としてはマイナスになることもある。
信じられないだろうか?
それではもう一つ例を挙げよう。
あなたは郊外に庭付きの素晴らしい邸宅を建てた。
最初の1ヶ月は邸宅の隅々までを満喫し、優越感に浸った。
だが3ヶ月も経つとその素晴らしさにも慣れてくる。
また以前のように日常の雑事が頭をもたげる。
それに、以前住んでいた都心の賃貸マンションとは事情が異なる。
清掃するにしても以前の何倍もの労力が必要だし、庭師が必要なほど広い庭は放っておくとすぐに雑草が生い茂る。買い物は歩いては行けず、通勤時間に至ってはいまや往復2時間...。
つまりその素晴らしい邸宅を購入したことによる実質的な満足度には損失が出ているといえる。
喜びの収支はマイナスである。
ある知り合いの社長は羽振りの良かった昔、クルーザーを所有していたそうだ。
彼は言う。「所有していて一番嬉しかったのは、買った日と手放した日だった」...。
高額なモノであればあるほど、それを運用するためのコストがついてまわる。
邸宅や車やパソコンを買ったことによって、あなたの人生はどれくらい質が向上しただろうか?
はっきり言おう。モノを買うことによって長期的な幸福感を味わうことは絶対に出来ない。
それどころか、強欲資本主義よろしく際限の無い欲望の歯車に巻き込まれる事になる。
それに、例えばいくらそのモノに換金性があるからといって、自分の資産を高級車やダイヤ付きの時計に変える必要はない。ある程度の金融資産に分散したならば、残りは「経験」と「世のため」に使おう。
会社の経営者ならば特にそうだ。
従業員が働いて稼いだお金で購入した車や時計で満たされていない自分を顧みなければならない。
そうではなく、従業員の成長や笑顔に己の幸福を見出さなければならない。
結論、僕たちは「モノ」が与えてくれる幸せの効果を過大評価し過ぎている。
モノで得られる喜びは時間とともに消えていくのに。
まだ人間として未熟なのであれば「経験」に、熟したのであれば「世のため」にお金を使おう。
