今年も卒業シーズンが来ちゃいましたね。
僕がずっとカットしている天然パーマ高校生の「リョーちん」も今年いよいよ卒業ということで、せっかくだから縮毛矯正をかけようってことになりました。
ほどなく理想のさらさらストレートヘアになったのはよかったんだけど、かけたのが1月下旬ごろで、それから2回カットしたから結局元のちゅるちゅるヘアで卒業式を迎えたよね。
卒業後の進路は警察官になると決めていたけど、直前で大学進学に切り替えたリョーちん。
お金は出ていくけど、いい選択だったと思います。
警官には大学卒業後もなれるから、とりあえずだったとしても大学で勉学とバイトと遊びに励むのもアリでしょ。
というか、就労期間や働き方が変わり、果ては寿命もまだまだ伸びるんだから、焦らずにモラトリアム期間を謳歌すればいいと僕は思っています。
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▼"機会損失"こそが人生
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自分自身も18歳で自衛隊に入隊したけど、その理由は「世界平和の役に立ちたかったから」。
世界がなんなのか、そしてどれほど複雑なのかも知らないクセに...。
あえなく、「髪を伸ばせない」という理由で逃げ出しました。逃げたというのは比喩的な表現ではなく、ガチで部隊から"脱走"したんですね。ハハハ♪
よく苦難や逆境や回り道の類を指して、あの経験があったればこそ今があると言ったりしますが、その通ってきた軌跡が「ベストであったか」と問われると、少し首をかしげたくなります。
時間は絶対に戻せないので、苦難や逆境を乗り越えるまでの過程をポジティブに変換しないと、無駄な人生を過ごしてきたことを認めることになってしまい少し具合が悪いんです。
「あそこであの苦難に出会っていなかったら、あの人とは出会っていなかった!」とか言い繕っちゃう。
僕で言えば「自衛隊から脱走した経験があるからこそ、今は逃げずに立ち向かうことができる!」的な...。
でも事実は自衛隊を辞めてから独立するまでの10年間は逃げ続けてきたし、遅刻し続けてきた自負がある!
でも人生って、もとい日本人の人生においては選択肢って無数にありますよね?
「あの苦難がなければあの人に出会えていなかった」と言うその言葉通り、裏を返せば
「あの苦難がなければ出会えたはずの人に出会えなかった」とも言えるんです。
僕たちは常に機会を失っているらしい。
今手にしているものと引き換えに...。
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▼世界を広げよう
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18歳の僕には選択肢が少なすぎたんです。
この世界にはどんな職業があるのか。どんな人種や文化や歴史があるのか。どんな政治体制でもって経済が回っているのか。
10代、20代は自分の中の世界を広げることに時間とお金を投下すべきです。
逆に言えば時間とお金を使わなければ、開くはずだった井戸の蓋は閉じられたままです。
引き換えに残るのは"無知"と"貯金"です。カエルはお金の使い方を知りません。カエルに金銭です。
外の世界を見ることでしか世界は所詮広がりません。
例えば、文字通り海外を見るには日本においては"渡航"が必要です。
それに比べ大陸国家は地続きで、様々な民族や文化が入り乱れていることを僕らは頭で解っても肚で理解できません。
理解するにはやはり時間とお金がかかります。
そして、これはすごく大切なことだと思うんですけど、
"無料のインターネット"は「世界と繋がっていない」と忘れないこと。
高度に発達したインターネットは個人の趣向や特性を認識し、それぞれにフォーカスすることによって逆に世界を狭くし、下手すりゃ分断を生みます。
それにそもそも教養のない人間がインターネットでなにを検索するってんだい?
世界と繋がっているのは"本"です。検索が入りませんから。
おすすめは大型の本屋さん。手の届かない高さの本棚が何十列も並んでいるような。
その本棚を、少し足早で眺めながら全部の通路を歩き回ると、普段は意識していなかった潜在的な興味が掘り起こされて、5、6回足が止まるはず。
「興味の見つけ方?本屋を歩け」とは、かのバーバープレイスの店主中塚の言葉です。
...でも、若いうちはやはり特定のジャンルをあえて絞らず、無数に読んだ方がいい。知らない世界と出会えるはずです。
そして20代で、大まかでも世界を理解したならば、30代ではぐっとジャンルを絞って、自分の「能力」と「"使命"と名を変えた興味」の愛称を見ながら尖らせていけばいいのかなぁと思っています。
