ポスティング用の原付バイクをレンタルした5分後に「二段階右折違反」で捕まった中塚です。
サロンの出店準備と並行してポスティングに繰り出す毎日です。
3歩以上駆け足でポスティングしている青年を見つけたら、不審者扱いせずに優しく見守りましょう。
今日は『努力との向き合い方』について...
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▼努力好きの日本人
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「石の上にも3年」のことわざでも知られるとおり、日本人は奮闘努力の類を愛し美徳としています。
儒教を元にした封建制の時代が長く続いたことが遠因だとは思いますが、それにしても日本語には「頑張る」的な意味合いの言葉が多すぎる。そらぁもぅめちゃめちゃありますよ。
でもこれだけ「努力」を美徳として崇める国にも関わらず、「学び」に投資する大人の割合はアジアでダントツの最下位だそう...。矛盾してますね〜。
「頑張る」や「努力」の類が、ただただ「苦痛に耐えること」のような意味で使われている節があるっぽいです。
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▼「主観的努力」のすすめ
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努力には「主観的な努力」と「客観的な努力」があると思っていて、日本人が好きなのは客観的な努力。
マラソン大会でおもくそ走らされているのにけっこう頑張っちゃうってやつ。
好きじゃないけど、「社会的意義が高いとされている」から無理して頑張るっていう。
立派だとは思うけど、マラソン大会みたいにその日限り頑張るだけでいいんなら楽だけど、人生は連続した一瞬の集大成なわけで、いくら人が認めてくれるからといって、苦痛に耐える人生を"成功"とは呼ばねぇんです。
「報われない努力はない」に誰も異論はないでしょうが、そんなに努力好きの日本人が報われないのはどういう了見でしょう。
僕たちはそろそろ、努力とやらの定義をアップデートしなきゃいけない時期にきているみたいです。
「客観的な努力」ではなく「主観的な努力」に。
そして主観的努力の天才といえば、やはりイチロー。
イチロー選手は小学時代から、友達ともほとんど遊ばず365日中360日激しい練習を繰り返し、その調子で中学高校、そしてプロ野球から大リーグに至るまで継続し続けているんですね。
なぜそんなことができるのか...。
答えはイチローだからです。
日本人的な努力観念に照らせば、"努力の天才"イチローさんは、野球を始めた3才から今日までの40年間、「苦痛に悶え続けてきた」ということになります。ほんとに〜?。
強烈な目的や動機があったことは想像にかたくないけど、そんな代物だけで40年間トレーニングを頑なにコミットメントし続けれるほど人間は単純じゃぁありません。スポ根漫画じゃあるまいし。
その証拠に、イチローは引退してからもこれまで通りのトレーニングをシアトルの自宅で続けているそうじゃありませんか。
結論、主観的な努力とは他人の評価軸から逸脱した"執着"のことです。
イチローが40年間努力を続けてこられた理由は、野球に"執着"していたから...。
他人から見れば"努力"だが、張本人からすれば"執着"。
イチローにしてみれば、"努力している感覚"は無かったはずです。
"執着"はあまり良い意味の言葉ではありません。
「野球」だと称賛されるけど、「テレビゲーム」だと眉をひそめられたりする。
でも、紙一重ではあるけれど、これからは"執着”でしか結果を出すことはできない世の中になると思っています。
そして執着=努力とは「量」のこと。
イチローがそうであったように、ノウハウやアイデアではなくただひたすらに他を圧倒する「量」です。
僕たちは「量」という"努力"によって報われる世界を生きているはずです。
カット技術が最初から優れている人はいません。
ハサミを何回開閉し、何回指を切って、呪われるくらいの数のウィッグを切ったかにスキルは比例します。
近道はないし、そこに「効率」や「アイデア」は介在しない...。
以上のことを肝に銘じ、ひたすらポスティングし続ける毎日。
屋内での仕事が長いため、すぐ熱中症になる中塚。
でもとりあえず2万枚を配り終わるまでは僕はやめません(^ ^)
なぜなら、努力は報われると信じているからです。
