我が町、筑前町の毎年恒例 巨大"わらかがし" (藁で作ったカカシ)の夜の姿が、世界を征服しようとしているお化けニワトリにしか見えない中塚です。
今回は少し重いテーマでセンシティブな内容になりますが、すごく大事なことだし僕自身大切にしたい考え方なので、自戒をこめて書きたいと思います。
————————— ▼ウクライナ情勢 —————————
ロシアによるウクライナ侵攻により、民間人も含めて多くの犠牲が出ている。
"戦争"というあまりにも分かりやすい不条理に僕たちの関心は釘付けだ。
あまりのむごたらしさに憤りを感じ、何か自分に出来ることはないかと本気で模索している人も少なくないと思う。
でもちょっと待て...。
別に戦争じゃなくても、不条理はこれまでも世界中に蔓延していたぞ。
この星では毎日1000件以上の殺人事件が起き、2000人以上の人が自殺し、3000人以上の人が交通事故で死んでいる。
テロや内戦だって絶えない。飢餓や不治の病だって存在するし、閉ざされたドアの向こうではDVの嵐が吹き荒れている。
昨日や今日始まったことではない。
世界はこんなにも不条理で溢れている...?
僕たちは情報を選んでいるようで、実は選ばされているということに気付かなきゃいけない。
最近までコロナ一色だった報道は一気に戦争の悲惨さばかりを映すようになった。
自らが選んだわけではないその情報によって贖罪の意識に苛まれているのが僕たちだ。
なにがしたい?
それで世界は良くなるのか?
世界の難題と向き合う姿勢としてはナンセンスだと思わないか?
そもそも少しくらい情報を得たからといって世界の難題を理解したつもりになってはいけない。
世界は僕たちが思っている以上に複雑だ。
複雑さが度を超えているから戦争になるのであって、そうじゃなきゃ誰も戦争なんかしたくない。
例えば僕が理解している此度のウクライナ情勢について述べるならば...
ロシアは祖国統一の為に(ロシア側の正義)、アメリカの覇権(パクス・アメリカーナ)が終焉を迎えつつあるこのタイミングで武力侵攻という強行策に出た。
ウクライナはNATO非加盟国であるし、ロシアは安保理の常任理事国でなおかつ核を有するので、国際社会は武力介入してこないであろうというプーチンの目算は当たった。
侵略戦争をタブー視した第2次大戦後の国際秩序が崩壊する端緒となり得るため、領土問題を抱える世界各国に緊張が走っている...
とまぁこんな感じか。
でもこんな知識なんの役にも立たない。
実際はもっと複雑だ。
全体像を把握している人間などいないのだろう。
ウクライナ情勢を本当に理解したいのであれば、1年くらいかけて両国の歴史や文化、民族的価値観をあらゆる角度の情報から学ぶ必要がある。
しかし学んだとて、僕たちにできることは何もない...。
それでもこの世界の不平等には気が重くなる。
この鬱積した感情はどこにぶつければいいんだろう...
そんなあなたに、世界で起こるネガティブな難題に対する向き合い方について、僕がおすすめする思考法を記す。
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▼時間ではなく「お金」を寄付しよう
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世界の難題との向き合い方について...
まずは、そもそも個人でできることには限界があるということを忘れないでおこう。
世界一政治的な影響力があるアメリカの大統領でさえ、世界の趨勢にはほとんど影響を及ぼせない。
ましてや僕やあなたのようなものが世界の難題を解決できる余地などこれっぽっちもあろうはずが無い。
人間一人の力なんて本当にちっぽけだ。取るに足らん。
いや、もはや一人では何もできない生物のことを"人間"という。
だって生まれ落ちた瞬間は立つこともできないし脳みそはサル以下じゃんか。
他人の助けがないとたちまち死んでしまう弱さがそれを物語っている。
僕たちは一人じゃ何もできない。何もできないから集団を形成する。
"家族"を作れば孤独を解消できるし合理的で張りのある生活ができる。
"会社"を作ればより多くの売上や利益をあげることができ、より社会に貢献できる。
自分一人の力を過信してはいけない。自分にはなんの力もないと言うことをいったん受け入れて絶望しよう。
その上で...
個人でもできることがあるとすればそれは、「お金」を寄付することだ。
間違っても「時間」を供与すべきではない。
確かにボランティアに参加したりすることは有意義だ。
でも大事なのはあなたの充実感ではない。
苦境に立たされている人たちが救われることだ。
慣れないボランティアの現場で汗を流し働いても、充実感とは裏腹に生産性は低い。
あなたは、自信が生産性を最大限発揮できる仕事に集中し、稼いだお金をユニセフや赤十字やNPOなどその道のプロに手渡すことにしよう。
彼らはきっとあなたのお金をあなた以上に有効に使ってくれる。
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▼無責任でいることは悪いことじゃない
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難題との向き合い方で更に大事なことがある。
それは、「そもそも見聞きするニュースを制限する」ということ。
特に人道に関するニュースには注意が必要だ。
胸をえぐられるような映像を見て、テレビの前で犠牲者への憐れみにどっぷりと浸っていても何もならない。犠牲者のためにもならないし、もちろんあなたのためにもならない。
世界で起こる大惨事についての情報を積極的に入手するのは、一見人道的な行為に見えるがその実、ただの覗き見趣味の野次馬根性に過ぎない。
そもそも犠牲者に対して失礼だ。
よく事件事故の犠牲者の顔と名前をメディアが晒しているが、何のつもりか。
それが犠牲者への弔いになる、あるいは再発防止に寄与するとは到底思えない。
何度も言うが世界では毎日ものすごい数の人間が失意のうちに残酷な死を遂げている。
その一つ一つに想いを馳せて見てもいいが、ノイローゼになるのがオチだ。
災いは時も場所も選ばないし、この世からなくなる事もない。
ウクライナで爆撃の犠牲になった人達よりあなたの方が恵まれているからといって、罪の意識を感じることはない。場合によってはあなたと彼らの立場は全く逆だったかもしれない。
世界で起こっている惨事は、あなたの責任ではない。
きちんと生産性のある生活をしていれば、あなたは人でなしということにはならない。
思い切って見聞きするニュースを制限して、あなたの仕事に集中しよう。
あなたも、あなたなりの方法で世界をより良くすることに貢献しているのだから。
